宮島と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、海に浮かぶ大鳥居や世界遺産の嚴島神社でしょう。
しかし、この島には観光名所として知られる景色とは別に、古くから語り継がれてきた「七不思議」と呼ばれる伝承が存在します。
宮島の七不思議は、怪談や作り話ではありません。
自然の中で起きた出来事、人々の体験、そして信仰が重なり合うなかで、「不思議なもの」として受け止められてきた存在です。
これらの伝承を知ることで、宮島の景色や空気の感じ方は大きく変わります。
ここでは、宮島が神の島といわれる由縁や、宮島の七不思議について紹介します。
宮島が「神の島」と言われる理由
宮島は、古くから「神の島」として人々に敬われてきました。それは、怪談や伝説が多く残されているからではありません。
島そのものが、特別な時間と信仰の積み重ねの中で形づくられてきた存在だからです。
島の中央にそびえる弥山[みせん]と、その周囲に広がる弥山原始林は、1万年以上にわたり人の手がほとんど入ることなく守られてきました。
昼でも薄暗さを感じるほど深い森と、太古の姿を今に伝える山容は、古代の人々にとって霊的な気配を強く感じさせる場所だったと考えられています。
こうした自然環境から、宮島は早くから周辺地域の人々の自然崇拝の対象となり、山や森、海そのものが信仰のよりどころとして受け止められてきました。
また、厳島神社には、田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)からなる宗像三女神が祀られています。
神社の創建以降、宮島は単なる居住の場ではなく、島全体が進行の存在として崇められるようになりました。
人々は、自然と信仰を切り離すことなく、日々の暮らしの延長線上に神への祈りを置いてきました。
そうした営みが長い年月をかけて積み重なった結果、宮島は今もなお「神の島」と呼ばれ続けているのです。
宮島の七不思議
宮島には、古くから語り継がれてきた「七不思議」と呼ばれる存在があります。
いずれも明確な記録や科学的な説明が残されているわけではなく、伝承として今に伝えられているものです。
1. 神鴉(おからす)
宮島では、毎年5月に行われる「御島廻り」と呼ばれる神事の際、不思議な光景が見られると伝えられています。
神主が粢(しとぎ)を載せた筏を海に浮かべると、どこからともなく一対のカラスが現れ、供え物をくわえて飛び去るというものです。
この出来事が三度繰り返されると吉兆とされ、神の意志を示す存在として「神鴉」と呼ばれてきました。
2. 神馬(しんめ)
かつて、嚴島神社に奉納された馬が、年月を経るうちに白くなっていったという言い伝えがあります。
この現象は神の加護の表れと考えられ、「神馬」として語られてきました。
現在は白馬の像が置かれ、当時の伝承を今に伝えています。
3. 宮うつし貝
宮うつし貝は、貝殻の内側に嚴島神社の社殿が映ると伝えられてきた不思議な貝です。
実際に確認できるものではありませんが、「海そのものが神域である」という宮島信仰を象徴する存在とされています。
自然と信仰が一体となった宮島らしい伝承の1つです。
4. 猿の口止め
宮島で語られる「猿の口止め」とは、かつて弥山に棲んでいた猿が騒がしくなる時期に合わせ、島全体で音を慎む風習を指します。
旧暦11月の初申(はつさる)の日は、島民は大声を出したり、物音を立てたりすることを控え、猿の神をなだめたと伝えられています。
この風習は、猿を追い払うためのものではなく、自然の存在を畏れ、静けさによって共存を図ろうとした行為でした。
現在、弥山で猿の姿はほとんど見られませんが、「猿の口止め」は民話・伝説として語り継がれ、島に根付いた信仰文化の一端を今に伝えています。
5. 弥山の松明
夜の弥山で、大きな火が揺れているのを見たという話が「弥山の松明」です。
この火は人為的なものではなく、守護的な存在のしるしと考えられてきました。
山岳信仰の地である弥山らしい、不思議な現象として語られています。
6. 雪の跡
雪の降った朝、神社の屋根などに大きな足跡が残っていたという話があります。
これを天狗が夜中に歩いた痕跡だとする伝承が、「雪の跡」です。
自然現象と信仰が結びついた、宮島らしい不思議の1つといえます。
7. みさき
夕暮れ時、弥山や浜辺で人の声のようなものを聞いたという体験談が「みさき」です。
周囲に誰もいないにもかかわらず、複数の人の気配を感じるとされ、実体のない存在として伝えられています。
宮島の霊性を象徴する言い伝えの1つです。
七不思議だけじゃない。宮島の不思議
宮島の不思議は、「七不思議」という枠だけでは語り尽くせません。
島を歩いていると、特定の場所や出来事というよりも、島全体に漂う違和感や特別さに気づく人が少なくありません。
それは偶然ではなく、島の成り立ちや信仰の歴史、暮らしの制約が重なって形成されてきたものです。
ここでは、宮島全体に関わる代表的な「不思議」とされてきた要素を整理します。
島全体のかたち
宮島には、島全体のかたちが「観音様の寝姿に見える」とする言い伝えがあります。
この見立ては、島を遠くから眺めた際、弥山を主峰とする山並みや島の輪郭が、人が横たわった姿に重なって見えることから生まれたとされています。
観音様の寝姿という表現は、島全体を神聖な存在として捉える考え方の1つとして、古くから語られてきました。
蜃気楼
宮島周辺では、特定の気象条件が重なると、海上に蜃気楼が現れると伝えられてきました。
対岸の景色が浮かび上がって見える現象は、かつては神秘的な出来事として受け止められていたようです。
瀬戸内海特有の穏やかな海と気温差が生み出す自然現象ですが、「神の島に現れる兆し」として語り継がれ、不思議のひとつとなりました。
多賀江念仏
昔、旧暦7月16日・17日の夜に行われていた宮島の伝統行事である「厳島踊り」の夜、伊予の国(現在の愛媛県)から来た武士・多賀江兵衛(たがえひょうえ)が、踊りをしていた人々を叱りつけて暴れたといいます。
その結果、兵衛が乗った船は海上で転覆し、死んでしまいました。
その後、夜ごと沖を通る船に兵衛の祟り(たたり)があると噂されるようになり、彼の霊を慰めるために「念仏百万遍」を唱える儀礼が行われるようになります。
これが「多賀江念仏」と呼ばれ、やがて形を変えながら、現在の宮島踊りへとつながっていったと伝えられています。
卒塔婆石
卒塔婆石は、嚴島神社の廻廊にある鏡池(三つある池のうち二つ目)の中に静かに置かれている石です。
一見すると目立たない存在ですが、平安時代末期の悲劇と結びついた伝承が残されています。
平家打倒に失敗し流罪となった平康頼は、遠く離れた母を思い、卒塔婆に想いを刻んで海へ流したと伝えられます。
その卒塔婆がこの鏡池の石に引き寄せられた、というのが卒塔婆石の由来です。
池のそばには、康頼が奉納したとされる「康頼燈籠」も残されており、この一帯は平家の歴史と信仰が重なる場所として、今も語り継がれています。
宮島の灯籠
参道に並ぶ灯籠の数は、全部で108基です。
この数字は、除夜の鐘の回数としても知られ、人が持つ煩悩の数を表しています。
灯籠の明かりは、仏教的な「献灯(けんとう)」の思想と、精霊の「道しるべ」という重要な意味があります。
そのため、灯籠は単なる装飾ではなく、信仰や思想と結びついた意味を持つ存在でもあるのです。
静かな夜の宮島で、ひとつひとつ灯る108の灯籠を眺めながら歩く時間は、観光というよりも、島の精神文化に触れるひとときといえるでしょう。
島に墓地がない
宮島は、古くから島全体が神聖な場所として扱われてきました。
厳島神社を中心に、島そのものが神の領域と考えられてきた歴史があり、人々の暮らしにおいても「神域を汚さない」という意識が強く根付いています。
日本の伝統的な信仰では、「死」は穢れと結びつけて捉えられてきました。
穢れとは、不浄や忌むべきものを指します。
特に神聖な場所において穢れは、避けるべき存在とされ、墓地や葬送に関わる場所は、神の住まう土地にはふさわしくないと考えられてきました。
宮島ではこの考え方が徹底されており、死に関わる行為や施設を島内に持ち込まないという姿勢が守られてきました。
そのため、宮島では墓地の設置が認められず、葬儀や埋葬といった行為も島外で行われてきました。
なお、島内での出産も避けられ、出産する際は対岸にわたり、島外で出産しなければなりません。
弥山の七不思議
島の中央にそびえる弥山は、修行と信仰の山として知られ、数多くの不思議な伝承が残されています。
弥山の七不思議は、自然現象と信仰が結びついた象徴的な存在であり、宮島全体の神秘性を強める要素となっています。
嚴島神社にまつわる思想
宮島の不思議を語るうえで欠かせないのが、嚴島神社の存在です。
その社殿配置や建築思想は、世界的にも珍しく、信仰と自然を一体化させた構造となっています。
なぜ海の上に社殿を建てたのか
厳島神社の社殿が海の上に築かれている理由については、いくつかの考え方が伝えられています。
その1つが、「神の住まう島の土地を、できる限り汚さないため」というものです。
宮島では、島そのものが神の存在と捉えられてきました。
そのため、土に直接建物を建てることや、人の営みを持ち込むこと自体が慎まれるべき行為と考えられていたのです。
かつては神職でさえ島内に居住しなかったと伝えられており、島全体を神域として扱う意識が徹底されていました。
こうした信仰観のもと選ばれたのが、海上という立地でした。
陸地を避け、潮の満ち引きによって自然に浄められる海の上に社殿を設けることで、神の島である宮島の土地に直接手を加えずに祈りの場を築くことができたと考えられています。
一方で、社殿は単に海に浮かんでいるわけではありません。
波の力を受け流す床構造や、水を逃がす仕組みなど、海と共存するための工夫が随所に施されています。
その姿は、自然に抗うのではなく、受け入れながら成り立つ建築として、独特の美しさをたたえています。
大鳥居に刻まれた印と構造
嚴島神社の大鳥居は、社殿からおよそ160メートル沖合の海中に据えられています。
高さは約16.6メートル、全体の横幅は約24.2メートルに達し、主柱の周囲は約9.9メートルあります。
総重量はおよそ60トンとされ、木造鳥居としては国内最大規模のものです。
現在は国の重要文化財に指定されています。
現存する大鳥居は、平安時代から数えて9代目とされ、明治8年(1875年)に再建されたものです。その後も修理や補修を重ねながら、今日まで姿を保ってきました。
笠木の東側には太陽を表す装飾金具、西側には三日月を表す装飾金具が取り付けられており、陰陽の思想が意匠として取り入れられています。
宮島観光で「不思議」を体感しやすい場所と時間帯
宮島の不思議さは、どこでも同じように感じられるわけではありません。
時間帯や人の多さによって、その印象は大きく変わります。
観光として訪れる場合でも、少し条件を意識するだけで、宮島が持つ独特の空気感を体感しやすくなります。
早朝・夕方
宮島で不思議さを感じやすい時間帯として挙げられるのが、早朝と夕方です。
この時間帯は観光客が少なく、島本来の音や空気が表に出やすくなります。
早朝は鳥の声や風の音が際立ち、建物や自然の輪郭が柔らかく見え、夕方は潮位や光の変化によって、同じ場所でも昼とは全く異なる印象になります。
人の気配が薄れることで、島の構造そのものに意識が向きやすくなり、「不思議さ」を感じる余地が生まれるといえるでしょう。
人が少ない場所
多くの人が集まる場所では、どうしても「観光地」としての側面が前に出ます。
一方で、参道から少し外れた道や、森に近い場所では、視覚情報や音の刺激が減り、感覚が研ぎ澄まされやすくなります。
結果として、宮島らしい不思議さを実感できるかもしれません。
まとめ
宮島には、世界遺産・嚴島神社を中心とした信仰の歴史とともに、古くから語り継がれてきた「七不思議」と呼ばれる伝承があります。
これらは怪談や作り話ではなく、自然現象・人々の体験・信仰が重なり合う中で、不思議として受け止められてきたものです。
宮島の七不思議を知ることで、宮島観光がより面白いものになるのではないでしょうか。
この記事のポイントは、次のとおりです。
- 宮島の七不思議は、明確な記録や科学的説明を持たない「伝承」として語り継がれてきた
- 神鴉・神馬・龍灯などは、神事や自然と結びついた象徴的な存在である
- 雪の跡やみさきなどは、日常の中で説明しきれない体験が元になっている
- 七不思議は特定の一点ではなく、島全体の空気や思想と結びついている
宮島の七不思議は、すべてを実際に「見る」ためのものではありません。
どこで、どのように語られてきたのかを知ることで、島の風景や静けさの感じ方が変わってくるものです。
この記事を参考に、宮島を訪れる際には史跡や景色だけでなく、七不思議という視点からも島を歩いてみてください。
そうすることで、宮島がなぜ特別な場所として受け止められてきたのか、その理由をより深く感じ取れるはずです。
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